【2、妻として(村木嵐さん『まいまいつぶろ』)】
覚悟、と言った。
始めそれは「将軍家に嫁ぐ上で、いかなることにも動じないという気位の高さ、一種の強がり」かと思った。違った。このように、仮に同じ言葉で表現したとしても、人によって容量が桁違いなことがあるから注意が必要だ。ここに「共通の言語であっても話の通じる通じないが生じる」現象が発生する。
比宮にとっての家重は、嫁いでから毎日自室に手入れの行き届いた花を送ってくれる、思いやりあふれる殿方。そんな男との初めての顔合わせ。公の場でのことだから直接伝える機会はなくとも、もし叶うならまず感謝を口にしたかったに違いない。
しかし「殻の割れた穢いまいまいつぶろ」。それは臭いで気づいた。男はまず〈尿を漏らしておられた〉。加えて〈お体にまともな所はなかった──(中略)──口からは涎が零れていた〉
少女漫画の夢が木っ端微塵に吹き飛んだ瞬間。突きつけられた現実、正体の顕現である。いくら男の頭上に矢印アイコン「年収800億」と表示されていたところで「いや、そんだけあっても使えねえし!」と全力ツッコミを入れる案件。ここは一旦自室に戻ってふすまを閉める。
覚悟、である。
もちろんすぐには飲み込めず、お付きの者相手に想像とのギャップを吐き出す様は見られた。けれど、覚悟である。女はこれを自分の運命であるとして呑み込んだ。
〈あの方があのような形でお生まれになったのも運命〉とした上で〈持って生まれた運命ばかりは、泣いて厭がってもどうにもならぬ〉とした。〈泣いて厭が〉る本心はあくまで個人に終始するもの。そんな次元で生きていない。比宮は天皇家から下ってきた身で、目的があってこの縁談も組まれている。
比宮がすごいのは「そこ」から話が始められること。「じゃあ」と、その先を考える頭に瞬時に切り替えられること。
この対面の後、老中の1人が「実際に会ってみて、さぞかしがっかりしたことだろう」と声をかけるのだが、比宮はもう「そこ」にはいない。この時すでに「騙された哀れな姫」ではなくなっていた。
〈覚悟など、妾は京を出たときにつけておるわ〉
そうして比宮は一瞬で見抜いた。
〈ほんに老中など、狐じゃな〉
覚悟。例えばそれを「何があっても護ろうとする意思」としたとき、女が発動させるのは「母性」。懐に抱え込んで牙を剥く。
比宮は「初見は衝撃的すぎて」とした上で、二度目に会った後にはもう少し落ち着いて周りを見られた。感じたのは〈本丸の大広間で比宮も感じた、諸侯を見下ろして威に屈さねばならない心細さ〉
比宮は家重に対して〈頭まで赤児ならまだしも、年齢に見合った成長をしながら入れ物だけが赤児のままだとしたら、その苦しみはどれ程のものだろうか〉と想像した。上座に座した比宮は、既に家重と並んで家重の目から周りを見ている。そうして
〈もしも中身まで赤児ならばお悩みになるはずがない。きっとあのような、ひたすら堪えるお顔など、なさるまい〉
その意思に気づいた。この男にはきちんと意思があると気づいた。
ここで響いてくるのが家重から毎日送られてきていた花。〈わずか三輪の時もあれば、七本、八本と色の異なる薔薇が活けられている朝もあ〉ったこと。香るは義務ではなく能動。こうしたら喜んでくれるかなという個の思い。
だから花の棘を折り取っていたのが家重本人ではないと知った時、純粋に傷ついた。忠光の受けた嫌がらせ同様、何とも思わない相手の一挙一動に傷つくことはない。この時すでに関係は「成っ」ていた。だから「狐」と称した。主人を侮るお前は敵だ、とはっきり認識した。認識したからこそ、身近な敵から一刻も早く護らなければと思った。
〈あまりにも無礼ではないか。家重様がどれほどの怒りを抑えておられるか、誰も思うては見ぬのか〉
怒っているのは比宮だった。当たり前にできる人たちが見下す。「運命」を「立場」を、ありのままを受け入れることのできない器の小ささに、細い肩を怒らせて憤る。
〈家重様のお味方になれるのは、妾だけではないか〉
運命? いや、もはやこれはただの責任、正義感である。ただの比宮個人の気質である。そうして比宮は思い至る。家重が侮られるのは「将軍として跡を継ぐはずがないと思われている」ため。しかしそんな無礼に、真っ向から立ち向かう術を自分は持っている、と。
だったら産んでやるよ。私がな。
この瞬間比宮は母に「成った」
実際の孕む孕まない、産む産まないの問題ではない。脳みそが作り変えられる。目的に沿って動くようになる。
この段階では比宮個人に終始する正義の域を出ない。きっかけに過ぎなかった毎日送られてくる花。その棘を折り取っていたのは忠光。けれど
〈まあ。小姓(忠光)に頭を下げられたのですか〉
次期将軍とも言われる人が、自分ではできないことを小姓に頼んでいたという。自分に送る花のために。
その人にしか分からないやり取りがある。
それは生もうとして生まれるものではない。飛び交う情報を、あるいは何かの折にさっとかすめるもの。何、と振り返ったところで残るものではない。けれど確かに「生じた」もの。
本来、個人間の関係は閉じたものだ。けれど家重は忠光を通じなければ話すことができない。だから比宮は文を選んだ。それなら本人とだけやり取りができる。ただ一方で、言葉は必ずしも重要ではない。〈真心とは言葉で伝わるものではございませぬ〉〈夫婦などというものは、言葉に出さぬ方がよほど上手く行くもの〉と忠音が言う通りだ。
ハナから「言わずとも分かるだろう」というのは怠惰だが、時に音にすればする程に精密なレプリカが出来上がることもある。太古、言葉なしに生きてきた祖先もいた訳だから、相手が自分のことをどう思っているかは目を見れば分かる。逆に見れないのはそこに見せたくない本音があるからだ。さて。
そうして関係を築いた比宮は、ある日こんなことを口にする。
〈殿がまいまいならば、妻の妾もまいまいです。誰ぞが殿をそのように申すならば、妾のこともまいまいと呼ぶがいい〉
実際懐に抱え込んで守ることなどできるはずがない。最も傷つく矢面に立たなければいけない。そんな心細さを、代われない心細さを、比宮はそう言った。
後に比宮は子を授かる。けれど生み月に足りず流産し、その数ヶ月後、帰らぬ人となる。死の間際、比宮はずっとそばにいたお付きの者に願いを託した。見方によっては家重本人以上に傷ついてきたかに見えた比宮は、最期の願いとしてお付きの者に「殿の子を挙げるように」と言った。目的は「この先もう二度と、殿が誰からも侮られぬこと」
執着。それはなりふり構わず。
見方によっては家重本人以上に傷ついてきたかに見えた程、大切に思ってきた相手を託す。自分の思いではない。大事なのはその人にとっての最善。願いは「ただあの人が護られるように」
それもまた母性。そうしてやっと永い眠りにつける。ただの自分に戻る。
そう考えたら、比宮が自分の時間を生きられたのは、いったいどれ程だったのだろう。
これは運命に従い、運命とともに生き、けれど最後は大切な人のため、運命を変えようとした女の生き様。