【深】独り言多めな読書感想文

⭐️1つの作品に対して記事が複数に渡るものを収録⭐️

自由研究と読書感想文をいっぺんに終わらせてやんよ【1、養分】


「〇〇を食べたい」と思うのは、そのものが保有する成分が体内に不足していることから起こる現象だという。それはマイナスを通常に戻す行為。
 養分、という言葉がある。己の中に取り込み、高める。それは「マイナスを通常に戻す」以上にプラス。今までの自分以上になる。

 

 

hayami-desu.hateblo.jp

 

 

【抽出】
『地獄の楽しみ方』より
〈読んで面白いなぁと思うこともあるでしょう。──(中略)──その感情は、その小説がもたらしたものではないんですよ。その小説を読んだ読者である皆さんが作り出したものなんです〉
〈そもそも書き手の気持ちなんかどうでもいいんですね。書いてあっても伝わらないんですから。伝わる必要もないんです──(中略)──傑作かどうかは読者によるんです〉
フェルマーの料理』(1巻)より
〈じゃあ一つ答えてもらう──岳 フォークの温度を今日何℃でお出しした〉〈俺のところに来ないか? お前の数学的思考は料理のためにある〉

 

 サービス業は基本無形のものを扱うが、飲食もサービス業。矛盾するようだが、結果的に物質の有無は関係ない模様。
 形のない「養分」を生み出す。ただ栄養を摂取できればいいのではなく「美味しさ」「旨さ」を追求する。同じく、なくても困ることのない本。文字が読めれば、やりとりが成立すれば、目的は果たせる。それでも同じ事柄を伝えるのに、より適切な言い方を知っていれば、傷ついた人にやさしくできるかもしれない。電話越し、画面越しの孤独に、この夜を乗り切れる分くらいにはコミットできるかもしれない。

 

 養分というのは、生命の維持以上に「豊かさ」というニュアンスを多分に含む。現状のアップグレード、ある種の贅沢。人は近くにいる5人の平均と耳にすることがあるが、そういう意味でもこの辺りは敏感になっておいた方がいいのかもしれない。自分が選んだその場所で、望む人といられるか。いられないなら何が足りないのか。「それ」は限られた時間の中で正しい努力の方向が見える何よりの道標。迷わずに済む、疑わずに済むというのは、確実に到達できる深度を上げる。さて。

 

 こうも簡単に脱線してしまうので頑張って話を戻すと、ここでは読書という行為自体「そこに書かれたもの」ではなく、それを受け取る側にほぼ100%依存するという。「『面白い』のはそれを受け取る側が有能であるからして、その感情自体読み手が作り出したもの。だから傑作になれるかどうかは読み手による」と。
 まさか! と鼻で笑いながらも、オーケー。いいじゃないか。そっちがその気なら傑作とやらを作り出してやろうと息巻いて『本気で読書感想文』した結果、でかい独り言になったのが私であります。ただ、どこで何を間違えたのか未だに分からない分、同じことを繰り返す可能性は高い。また派手に転んだらそれはそれで笑って欲しい。ウソ。〈そもそも書き手の気持ちなんかどうでもいい〉どんな形でもあなたが楽しめれば幸い。

 

 京極さん自ら小説を書くのは嫌いだとしている。だからこそこんなことが言えるのかもしれない。作品は違うが、村山由佳さんの『ダブルファンタジー』で、主人公の女性が一人の男性を〈過剰な自意識と自己顕示欲を持ちながら、志澤は同時にそれらが周囲に臭い出してしまうことを極端に嫌う。まるで腋臭を気にするのにも似た、その羞恥の感覚の強さ、激しさといったら、自戒が行きすぎて自罰にまで至っているように思えるほどだ〉と評した感覚を思い出す。
 有能な人ほど誇らない。むしろ自分から遠ざけようとする。アレ、なんなんでしょうね。ちょっと何かしては「盛大に褒めろ!」とドヤ顔する私とは脳みその構成成分からして違うようだ。

 

 やりたいこととできることは違う。基本仕事と呼ばれるものは断然後者だ。好きこそものの上手なれという言葉が存在する以上、この二つが噛み合えばいいが、そうでなかったとしても、それはそれで受け入れるしかない。努力次第で芽を出す可能性もあるし、まあ仮に芽を出したとして、それがその後もずっとやりたい事たり得るかはまた別の話な訳で。さて。

 

 養分とやら。養分と称する以上、多分に栄養を含んでいる必要がある。ハンター×ハンターの蟻編のイメージ。それはじゃあ一方的に捕食する側される側に分かれるか。否。そればかりではない。双方に敬意が発生した時、生まれる関係。ライバル。相互依存。
 影響し合う。時に傷つき、それでも「その」中心を見極めようとする。敬意の発生源はどこだと目を凝らす。

フェルマーの料理(1巻)より』

 

 分かりやすい容姿に興味はない。だからいつだって入口は「自分にはない異質な何か」そうして「分からないと思うこと」自体が至福の拠点。全身の毛穴をブチ開けて刮目する価値がある。難問に挑む時と同じ。その他全てを排除する。見つけたとて捕まえられるかは別問題。当然相応の努力が必要になり、そこにたどり着くための養分を見つければ、それを求めることもあるだろう。それ自体悪いこととは思わない。

 

 飲食はサービス業。形はあるけど、同時に形のないものも売る。それは満ち足りた時間であったり、見目麗しい空間であったり。形のない養分を生み出し、その血の滲むような努力にまるで見合わない金額で提供する。生きるためか、はたまた己のたどり着きたい頂がためか。

 

 だから手を合わせる。金額の話ではない。提供されたものに見合うか、己を振り返る。
 振る舞いは。佇まいは。その高さに馴染んでいるか。
 また来て欲しいと思われるか。

 

 養分。

 捕食。刺激。食って食われて。
 認め合えるか。双方互いに必要だと思えるか。
 そのために。
 まずは美味しいものを食べよう。
 まずは自分の作品を思い上がるのはやめよう。

 

 まずはそんな高めの土台の話。