【深】独り言多めな読書感想文

⭐️1つの作品に対して記事が複数に渡るものを収録⭐️

自由研究と読書感想文をいっぺんに終わらせてやんよ【2、過程】


 確かに仕事をする上では何より結果が求められるだろう。いくら「寝る間を惜しんで頑張りました」と言われたところで、こちとらそんな働き方を求めた覚えはないし、むしろそれで身体を壊されて監督責任問われた方が困る。しかしだからと言って、実際「寝る時間を削る前に無駄な時間はないのか考えたのか」などと安易に口にしてしまおうものなら、下手したら今の時代パワハラで乙です。

 

 こんにちは。自由研究始めます。今回は仕事ではないので過程とやらをフォーカスしてみようと思う。無駄を楽しむ。効率的に終えて、浮いた時間を持て余すぐらいなら、目一杯夢中を楽しもうじゃないか。ペットボトルでロケットプシャーとかやってみたかったなあ。アレ、どうやってやるんだろ。絶対盛り上がるじゃん。隣の家の小学生の男の子二人とかガーって寄ってくるじゃん。ドヤ顔したい。

 

 

【抽出】
『地獄の楽しみ方』より
〈一方「馬鹿」の反対、「利口」のほうはイメージが乏しい。そもそも使い道が少ない。画数が少ないし、「利口」の二文字からは利息と口座くらいしかイメージできないので、銀行が思い浮かぶ程度〉
フェルマーの料理』(1巻)より
〈ただ解くだけじゃ意味がないんです私は──私はそこまでの……過程が美しいか 命を削れるほど面白いかどうか〉

 

 

 過程。迷い、行き止まりを引き返し、少し進んではぶつかり、やっとこさゴールに辿り着く。ゴールは一つとは限らない。何より大事なのは自分自身が納得すること。
「好き」の大枠。その中でうろうろするのは、上がった気分にプラスアルファ。私自身クリニックで働いているが、出勤時、裏口の扉を開けると薬品の匂いがして、それだけで気分が上がる。そこから好きな仕事をさせてもらっているのだから、つくづく幸せな生き方してんなと思う。さて。

 

〈命を削れるほど面白いかどうか〉
 この〈削れる〉は「可能」以上に能動的なニュアンスを含む。「削らせてあげてもいい」それは「どうぞ」と差し出すかのような。
 命を削る。すなわち心拍数の上昇。生命の終わりを早めるような行為を代償に得るもの。それは「我慢して摂生するよりも美味いものを食べて早く死にたい」というのに似ている。

 

 ワクワクしたい。ハマりたい。
 有限とはいえ、命短し恋せよ乙女とはいえ、漠然と見れば途方もなく長い時間。私にとってのワクワクは、今回の【抽出】『地獄の楽しみ方』で挙げたような「文字から得るイメージ、その手触りを自分なりに表現すること」
 それにしても「使い道の多さ」「画数」云々は考えることがなかった。確かに分母、「そこ」から起こされるイメージの幅広さというのは、そのままその言葉の持つ柔軟性を表す。以前、同じ「馬鹿」をシーン別で表現する、というのを声優さんがやっていたのを思い出す。確かに同じことを「利口」ではできない。
「画数」というのは、どちらかというと見たまま「絵」として捉える行為。象形文字にも当たっている作者ならではの視点。確かに単純な分、ひねりようがない。馬鹿のように二文字の間に共通項も見出せない分、融通の効かなさも感じる。
 それにしても、たった80字程度の短い文中に、漢字二文字から得た感覚をぴたりと当て、収めることができるのは、さすがプロの所業。脱帽。

 

「AはBである」と暗記するのは簡単だ。でもそれはその間に「なぜなら」が挟まっていて初めて「AがB」たり得るのであって、それは人生の縮図にも思えたりする。
 いきなり乳児は立ち上がらない。寝返り、はいはい。そこから骨格の形成が進んで、ふさわしい環境があって、ようやくつかまり立ちができるようになる。個々の特性を伸ばしていく。「A=B」だけど、あの頃の自分と今の自分は同じではない。
 努力の末に今の自分があるからこそ、その自信は目に現れる。好いて好かれて。それはその人の構成成分。見えずとも感じることのできる魅力。
 力の入れ方次第でごまかしの効く結果より、ごまかしの効かない過程の方が、だから実は人を魅了するには大事になったりもする。

 

 そんなしたたかな過程の話。