【深】独り言多めな読書感想文

⭐️1つの作品に対して記事が複数に渡るものを収録⭐️

自由研究と読書感想文をいっぺんに終わらせてやんよ【3、土台】

ふと思い出したんだけど、数日前「文系でもハマると言うから〜」という記事を出した時、〈「ここが面白いんだよ!」と力説されたところで「へえ」以上に何も出てこないのは〉ということを書いたんですね。これってまんまブーメランで、私自身こうして夢中になって言葉掘削作業をした所で、「へえ」以上に出てこない人がいてもおかしくないんですよ。
 これは、だからハマらなくてもあなたが悪いわけじゃないよ、って話。それでもここまでお付き合いいただいてる以上、少なくとも〈この場において有能〉なのでしょうから、ありがたく額にブーメランぐっさり刺さったまま続けるとします。

 

 さて、正しい言葉の使い方、と言われた所で、実際正せるのは「正したい人本人が目の前にいる場合」もしくは「それが書き残されたものである場合」
 残念ながら「あの人やあね。堅苦しくって」と言われるその言葉自体、永遠に摘発されることはない。

 

 

【抽出】
『地獄の楽しみ方』より
〈では『悪』はどうか。こっちは基本、「良くない」感じですよね。「ワルい」ですからね。ただ、「はなはだしい」とか、「ものすごい」という意味もあったんです〉
〈「愛」という漢字は三つのパートに分かれます。まず、真ん中に「心」がありますね。下にあるのは足です。上のほうにチョンチョンチョンと冠みたいなのがある。あれは「立ちどまって振り返る」という象形文字なんです。わかりますか。「愛」は、仏教で言うなら「執着」です〉
〈「絆」は、もともとは牛や馬をつないでおく綱のことですよ。犬が逃げないようにつけているリードです。「絆」は、足かせでしかないんです〉
フェルマーの料理』(1巻)より
〈「美味しい」「旨い」料理の世界には二つの褒め言葉がある。「美味しい」は感性の言葉。個人の主観に左右される。「旨い」は「旨味」をもたらす化学物質が存在し、数値として客観的に実証されてるものだ〉

 

 

 語源、言葉の成り立ちを知っていると、個人の枠を出ないはずの主観が押し上げられる。例えば前の記事で取り上げた「利口」、〈「利口」の二文字からは利息と口座くらいしかイメージできないので〉は主観。対して今回抽出したものは誰しもがツールによって共有しうる前提、客観にあたる。しかしこうして並べるだけで、本来背骨を持たないはずの個人の主観の共感ハードルが下がる。どこか円滑油のような役割も果たす客観は、そこに主観を一滴加えようと、何のことなく馴染む。赤に青一滴垂らそうと、それだけで紫にまでは至らない。はたから見ても赤のまま。

 

 じゃあその共感したもの全てが正しいか。今は過程をお見せしたので「NO」と言いやすいが、実際アドリブの連続で成り立っている日常会話、そこから得られる情報の真偽は殊更難解だ。いかんせん一つ一つ調べられるようなスピードにない。それは嵐のように訪れて嵐のように去っていく。
 何しろ対面で話すというのは、ノンバーバルコミュニケーションという、円滑な人間関係を保つ上で言葉の理解以上に重要になる巨大な要素が入ってくる。ハイスピードで交わされるやり取りの中では、その単語の整合性以上に「相手が気持ちよく話せているか」「相槌の間は適正か」「適度に質問を挟めているか」が大事であり、あくまでこの場においてのミッションは「円滑な人間関係を保つ」ことである。「あ、その言い方間違ってますよ。正しくは」なんて言おうものなら、興醒めどころか話の腰を折る結果(完全にこちら側の非)になるのである。

 

 そんなゆるゆるの土台の上で、けれども本人達の間では通じているという現象は、対比で正しいやり取りが提示されない以上、パラレルワールドにさえなり得ない。聞いている誰かが「違うんだけどなあ」と思ったところで、本人には伝わらない。それは間違った客観、あるいは個人の枠をはみ出た主観。ただ、じゃあそれが必ずしも憂いの対象であるかといえば、実はそうでもなかったりする。

 

 例えば「絆」が本来〈つないでおく綱〉だったとしても、本人達は本人達の間でのみ通じる、ノンバーバルコミュニケーションを含めた感覚一つで、その瞬間深く繋がっているのだ。並んで写真を撮って、そこに「絆」と書いた時、それはその二人にとってかけがえのない関係性を表す文字となる。女性の友情は儚い。それでも少なくともその瞬間、最も近くにいたこと、笑い合ったことを記憶するための一手段になる。並んで分け合ったカップ麺が、一般的に「大して旨くない」としても、本人達にとっては「何より美味しい」それはそれで真実なのだ。

 

 客観はあまねく大衆と繋がる。主観は理解しうる個人とのみ繋がる。開いた世界と閉じた世界。それはまるで理性と感情。バランスを取るには冷静と情熱のあいだぐらいが丁度いいのかもしれない。

 そんなゆるめな土台の話。