【深】独り言多めな読書感想文

⭐️1つの作品に対して記事が複数に渡るものを収録⭐️

自由研究と読書感想文をいっぺんに終わらせてやんよ【4、言外】

 

「無償の愛」は尊いか。それは、分解して成分を抽出した時、本当に純度100%で生成されていると思うか。仮に純度100%だったとして、それを今のあなたは欲しいと思うか。

 

 

【抽出】

『地獄の楽しみ方』より
〈言葉というのは多くの情報を捨てて、ほんのちょっと、氷山の一角程度しかものごとをあらわせない、そういう性質のものです。ところが、言葉を聞いた人間は、捨てられた部分、欠けている部分を、勝手に埋めちゃうんです〉
〈小説は、書いてあることより書いてないことのほうが大事なんです〉
〈近頃はよく「言霊」なんて古くさい言葉を耳にしますが、あれが効くのは人間だけですからね〉
フェルマーの料理』(1、2巻)より
〈この味がどういう理屈で作られているか分かるか? 岳 お前に〉
〈お前の目的は真理の扉を開ける料理人になれるかだ。プロの道でどう成長していくかだけ考えてくれれば良い〉

 

 

 以前母親がGACKTの出ていた番組を見て「『料理も掃除も洗濯も家事は全て家政婦に任せるから(君は)何もやらなくていい。けど、その時間を使って君は何をするの?』って言ってて」と話していたことを思い出す。その時母は「お母さんムリー。そんなこと言われたらプレッシャーになっちゃうー」と笑っていたが、心配することなかれ、いくら何でもGACKTの方こそ「ムリー」だ。

 

 言外。言い換えて「察する力」「空気を読む力」
 何故そう口にしたのか。本当に言いたいことは何か。それは、発した本人の意図以上に、受け取る側が勝手にその言葉を膨らませてしまうこともある。例えとしてハンター×ハンターの念が分かりやすいかもしれない。向こうはその場にいるだけなのに「うっ、これ以上近づけない……!」的な。そういう人が、例えば何の気無しに缶コーヒーを投げて渡した時、受け取った側はそこに含まれた意図を必死になって読み取ろうとする。
「単純に労ってくれた」のか、「疲れていそうに思った」のか、はたまた「お前力不足だからもうこのプロジェクト降りろよ」なのか。重箱の隅をつつかれるかのように、やましいことなどないはずなのに震える指先。

 

 話をGACKTの例に戻すと、GACKT自身はただ単純に「充実した日々を送って欲しい。君は何に興味があって、何に時間を割きたいの?」と聞いていただけかもしれない。けれどもこちらが、見合わない前報酬に、勝手に対価を求められている気がしてしまう。勝手に余白を「これだけのことしてやるけど、その代わりお前に何ができんの? 何を生み出せて、どう社会に貢献して、どんなふうに世間に役立てられんの? それだけのことができるんだよね。俺様がそれだけの環境を整えてやるっつってんだから。お?」と埋めてしまうのだ。アレ、今回GACKTの話だっけ?

 

 ここで話したいのは受け取る側が勝手に作り上げる妄想「条件付きの愛情」である。先の例のように、自分が選べるならまだしも、既に中に入ってしまった場合、もう腹を括るしかない。ただ、それは何も悪いことばかりではない。
 余白を自分で埋めた時、その時はプレッシャーでも、追い込まれて初めて開花するものもある。連休。連休前にはやろうやろうと意気込んでいた、日常ではなかなかできないアレコレ、実際やろうやろうと意気込んだまま連休終了。誰だって楽できるものなら楽したい。でもこれが期限があり、ノルマがあるから、重い腰を上げてやる。同じく生命の危機に瀕して初めて限界を突き破る。それはアクセルを思いっきり踏んだ時のような、一瞬の間の後の急加速。自分でも知り得なかった力。

 

「条件付きの愛情」
 これができなきゃ認めてもらえない。重んじてもらえない。
 けれどそれは成し遂げた時初めて、想定していた以上の報酬を得る。
「成し遂げた自分」それは「それ以前の自分」と似て非なる。確実な進化。そうしてその土台の高さから見えるようになった新たな目標に向き合う。
 それは自分を愛する行為。自分だからできたという自己肯定。環境に左右される承認欲求よりもずっと確かで揺らぐことのない基盤。それが積み重なってようやく周りが見えるようになる。同じように喘ぐ後輩を見守ることができるようになる。

 

 メンター、と言ったな。
 試行錯誤させる。でも正しく導く。
 そうして結果的にその人にとって良くあるように。

 

 そんな今回はGACKTの話(ウソだろ)