【4、男親として(村木嵐さん『まいまいつぶろ』)】
優先順位というものがある。立場によって簡単に殺されかねないこの時代は、とにかく生き延びることが最上だった。
同作者の著書に『阿茶』というものがある。『まいまいつぶろ』が9代家重を取り上げているのに対し、初代家康の時代を背景として描いた作品だ。その中で印象的だったのが、後に阿茶の初婚相手となる男のセリフで、男は当時6歳の阿茶に向かって〈「母上は何があろうと須和殿(阿茶)をお守りになるだろうが、父上は須和殿を捨ててでも信玄公を立てられることもある」〉と言った。そこに父が〈「理屈を言うなら、信玄公が倒れれば甲斐の皆が生きられぬゆえ、須和が後回しになるのは当然だな」〉と付け足す。
個の感情より社会を優先する。一族を、仲間を生かすために、イチイチ足元に気を取られてはいられない。最低限「男児」あるいは血縁の命だけ懐に抱いて戦に出向く。そんな「戦」は、直接刀を交えずとも起こる訳で。
長男でありながら重度の障害を持つ家重と、利発に育った弟たち。吉宗は長らく迷っていた。最終家重が正式に将軍の座についたのは35歳。元服からのタイムラグが、そのまま吉宗の悩みの深さを示していた。
吉宗は家重のことを〈「彼奴は人の心をよう見抜いておったのう。天然自然、憐れみ深い質じゃ」〉としながらも、〈「だが将軍が、いちいち人の心を解しておってどうなる。ざっくり切り捨てられる者でなければ務まらぬではないか」〉と案じていた。
実は後にこの場面のアンサーに当たる事件が登場する。木曽三川という暴れ川が走る水郷地帯での氾濫、その治水を薩摩藩に依頼した時のこと。流域は美濃郡代が支配する天領や尾張の支藩に当たり、いざ着手するも、現地で執拗な嫌がらせを受けているという。
元々幕府と関わりが深い土地であるため、どうにかしてもらえないかという薩摩藩の訴えを、忠光は退けた。否、正確には家重に伝えなかった。〈将軍というものは政に関わるべきではな〉く、〈政は親しい者を切り捨てられてこそ、正しい道を進む〉のであり、〈上様がそれをお出来にならぬのは大きな疵じゃ。ならばそれを補うのが御側の務め〉だからだ。
現地は耐え難い屈辱がために自死を選ぶ者が後を断たないほど凄惨な有様だったが、それでも結果的にそんな忠光の計らいによって〈一刻も早う、大御所様のような御改革を始め〉られた。(後に事情を知った家重は、忠光相手にブチ切れるが、いくら今暴れたところで終わったことだからどうしようもない)
そうして結果的に家重は、家臣に慕われ、政策を進められる良い将軍となる。
作中、将軍をしゃちほこに例える場面が出てくるが、まさにその通りで、一人一人が結託して、不足を補い合うことで「城」は成っている。まさか将軍が全部に口出しをすることではない。
〈「もう放っておいて良いであろうな」〉
〈「つくづく儂は、周りに恵まれたの。今この場におる者は、誰一人欠けてもならぬ。儂の最も大切な者たちだ」〉
そうして「子が親になる安心」というよりは、きちんと家重を含めた「社会」が成ったことを確認して吉宗は逝った。人々を生かすため、時に「米将軍」と揶揄されながらも必死で尽くし、一方で選んだ家臣に〈「そのほうには特別に、家重の補佐を頼みたい」〉〈「口のきけぬ家重に、見事将軍職を全うさせてみよ」〉、忠光には〈「友として上様にお支えせよ」〉などと声をかけて回っていた吉宗。
絶対の主君でありながら、ふと垣間見える親心。そのギャップこそが、実はぐんと改革を推し進めた要因だったのかもしれない。
【次回は10月11日(水)『独り言多めの読書感想文』にて投稿予定です】