序、芦沢央さん『カインは言わなかった』
「その世界」というのは、中にいる人でないとわからない。
恋人、上司、家族。一対一だろうと、一対複数だろうと関係ない。「その世界」での常識「その世界」ならではの理がある。
特に演劇などの芸術関係は、わざわざ観に行かなければ関わることもない。その中で熾烈な競争があり、ヘアアイロンさながら、そのために死を選ぶ程大きな感情の揺れが生じたとしても、結局誰かにとっての虚構の世界、パラレルワールド。ただ、その世界に関わる機会がないだけで、実際トップオブトップが披露するものを見て、何も感じない訳がない。
当事者でなければわからないことを、当事者に強烈に感情輸入させることで疑似体験させる。それは座ったままできるアクティビティ。そう。
当事者でなければわからないこと。
誰かが「何でそんなことにこだわっているの」と鼻で嗤うようなこと、細部にこそ宿るもの。そもそも「そんなこと」を見つけられなければこだわり自体生まれない。エネルギーのかけようがない。
当事者でなければわからないこと。
深みにハマればハマるほど、苦しめば苦しむほど、時にこの思いをわかってくれる誰かを探す。けれど同じような経験をしたとして、同じ思いをする訳ではない。ただ「同じ経験をした」事実をベースに、自分だけではない、と再び前を向く。必要になるのは「正しい方向に向かって」の努力。
作品全体を通して、穏やかじゃない、張り詰めた雰囲気の中、闇の中を手探りで歩いてきた人たちが最後に見出した光は実に眩い。
以前同作者の『汚れた手をそこで拭かない』を読書感想文したときにも書いたが、本当にこの人の作品は、なんというか頭が良くて(←頭悪そう)すごく読みやすい。特に感情の当て方には、ぼんやりとしていた思いの輪郭がはっきりする感じがある。そんで上手い。作中誰かの表現が、人物を替えてリンクする。冒頭とエピローグの繋ぎとか鳥肌ものだった。ススめる側としてもススめやすい。それでもやっぱり読みやすさに尽きるのかな。うん、すごく良かった(←やっぱり頭悪そう)
【大枠】
バレエをはじめとする、とある対象に自分の全てを捧げてきた人たちと、それを見てきた人たちの物語(ここでは前者を表現者、後者をサポーターとする)描かれる視点は5人。嶋貫あゆ子、尾上和馬、松浦久文、皆元有美、藤谷誠。表現者に尾上、皆元、藤谷。サポーターに嶋貫、松浦、そして皆元。皆元だけは両方の当事者である。
【タイトル解釈】
人生のおいて演劇を至上とした男が、そのために人の、しかも身内の死に立ち会おうと、公演に差し障るのを避けるために「言わない(通報、公にしない)」決断をする。
普通の人ならしない決断、向かわない方向に向かって突き進む人たちの覚悟を描いた物語。
表現者。言外という点では『キリエのうた』に近い。
とても良かったので、私なりに読書感想文してみようと思う。
全5本。毎度長くはなりますが、どうぞお付き合い下さい。
・序
・表現者1「コップ一杯分の水」(尾上和馬)
・表現者2「オヒメサマのキゲン」(望月澪)
・サポーター「絶対に許せない距離なんてなかった」(皆本有美)
(付録)
・偽りの表現者
【次回投稿は11月27日(月)です】